女子高生の頃、なんとなく学校生活がかったるいという理由で体中に生えているあらゆる毛を添ってみたことがある
(本谷有希子『生きてるだけで、愛。』新潮社、2009、9項)
そんな出だしで始まるこの小説。
本谷有希子は大好きな作家で、この作品は本がボロボロになるくらい何度も読んでいます。
今回久々に読み直し、そして惚れ直したので、初めての読書レビューを書いています。
(2018年11月には、趣里と菅田将暉を主演に映画化もされました!まだ見てないけど)
あらすじ
鬱と躁鬱といつ飛び出すか分からない奇行を自分自身が持て余している主人公の寧子。仕事はおろか、バイトも続かず、保険証さえなく、適当に見繕った男の家に居候することで生活している。
自分のことを「妥協におっぱいがついて歩いているようなところがある」と表現し、3年間同棲している彼氏の津奈木も妥協の上での付き合い。
そんなことを言いながらも、津奈木が自分に対して向ける熱量が少ないと思うと、本気でブチギレる。
いつものようにバイトをやめて、どっぷりと鬱と過眠のサイクルに突入しますが、津奈木の元恋人が、自分と津奈木がヨリを戻すために寧子に自立を迫ることで、寧子の生活が乱されていきます。
わたしから見た寧子
全身の体毛を剃り落としてみたり、怪我して出血しても「たまに出るんです」と答えたり、突飛すぎる寧子。
津奈木に寄生しているくせに、津奈木への態度も横柄なもので、実際にいたら相当やばい奴。
でも、なぜか寧子が好き
津奈木のことをメガネ野郎呼ばわりしているくせに、自分があげた手袋を津奈木が大切にしないことをものすごく悔しがったり、
ずっと寝ているだけなのが申し訳なくなって、津奈木にご飯でも作ってあげようと一晩中ネットを見て献立を考えたり、
それなのにうっかり寝すぎてしまって死にたくなったり。
「極端なんだよ寧子!肩の力抜けよ!」
と、言いたくなるのです。
寧子自身、自分のどうしようもない面倒くささを誰よりも自覚していて、頭がおかしい自分とこれからも一生付き合っていくことに絶望を感じている。
「やばいよ寧子」と思う場面や、突飛すぎて笑えるセリフが沢山ありますが、
寧子の心の真髄に触れるような瞬間
「ちょっと分かるかも」と寧子と読者が繋がる部分がたしかにあるのです。
感想
自分は一生自分と別れられない
作中で寧子が津奈木に対して、津奈木は自分(寧子)と別れられるからいいよね、
というシーンがありますが、その気持ち、めっちゃ分かる。
好きな人や嫌いな人、他人とは別れることが出来ても自分自身とは死ぬまで一緒。
わたしは比較的自分のことが好きな人間だと思っていますが、
- 気分のムラが激しい
- 疲れてくると暴れたくなったり大声を出したくなる
- 人がびっしり詰まったエスカレータに乗ると前の人の肩甲骨と肩甲骨の間を思い切り蹴りたくなる
など残酷性が高い一面があったりして、
たまにぞっとするくらい自分が嫌になることがあります。
でもそんなわたしでも、そんな寧子でも、
生きている限り、周囲の人間からの感情のエネルギーを日々受けながら生活する。
そのエネルギーが、純粋な愛でなくても、たとえ憎悪や嫉妬や下心であったとしても、
人は相対する人間に対して、理解したい、繋がりたいと潜在的に思ってしまう生き物なのではないだろうか。
と、思ったりするのです。
苦しい、辛い、理解しろ、理解すんな、優しくしろ、優しくすんな、手を抜くな
だから 疲れる。
だけど 『生きてるだけで、愛。』
振り回すから。お願いだから楽しないでよ。最後なんだ
本谷有希子らしい、激情型、エネルギーMAXの作品。
言葉のセンスも、もちろん逸品。
これまで本谷有希子作品を読んでこなかった老若男女すべてに読んでもらいたい。